記憶の中にあるいろいろなものを反芻しては頭を抱えている。そんな所作にも殆々飽きてしまった頃にまた頭を抱えざるを得ないような物事や情緒の揺らぎが押し寄せる。暇、とにかく暇がほしい。喉から臓から何もかもから手を伸ばすほどに欲しい。「休日」というのはあくまで『給与が発生する業務をしなくても良い日』という程度で結局休日も家事育児諸々で忙殺され摩耗していくし、状況によりけりではあるが仕事だって必要であれば普通にする。いや普通って何なの? という疑問はさておき、「自分休みなんでェ」の一言でン百万の収益を生むために必要な稟議を反故には出来んでしょ……。厳密には私の場合、稟議ひとつでそんなものが飛んでいくわけではないので、そこまで考えんでもいいのかもしれないが……。

とまあこんなものを何の意味もなく打ち込んでいるノートパソコンが置かれた机にも無駄なものが溢れ返っており、愈々数刻ほど前に空になった炭酸水のペットボトルが恨めしそうにこちらを睨んでくる錯覚さえ覚え始める。曇りのようで天窓に月はない。読み終えた地方紙が置かれたままの机なんて呪われて燃えてしまえばいい。正直要らないけれど、でももしかしたらちょっとだけ気になることが書かれているかもしれない、なんて思考回路で残された紙、どの道一生見ないでしょ。見たところで結局「ふぅん」で終わるでしょ。無駄だねえ…。

 

空気清浄機の音ばかりが救いを与えてくれているような気がするけれどそれすらも何もかも錯覚だ。


自らを無価値で無能力で誰からも「どうでもいい人間」として無視されているという感覚でうっかり涙を流してしまって、そんなのずっと前から当然だった筈なのに、ずっと前から当然だったからこそ一層、胸を刺して痛くて辛くて涙が零れた。ずうっと分かっていたことだとしても、人から言われたらカチンとくるようなことがある、と何かしらで見聞きしたことがあるけれど、それに近いようなことをずっとずっと昔から一人相撲みたいにして苦しんでいる。馬鹿みたいだけれど、馬鹿みたいなことがいつまで経っても辞められなくて、誰か助けてくれ~~~~みたいになってしまう。どうしようもない。どうしようもないのだけれど、ほんとにもう、助けがあったらな。